隠れ教師の独り言

フィンランド留学、アメリカの大学で日本語を教えてきた、現在英語の学校教師。日頃の不満を書いてきます!

政治的中立性って何?

来月から先生だなあ

 

フェイスブックツイッター、インスタを使って政治に対して思うことを今日書こうと思った。しかし、一つのことが頭をよぎる。友達が政治的投稿をしたらどう思うのかなあ?ということ。

 

れいわ新撰組参院選における訴え、正直感動した。テレビ、ヤフーニュースを通じて、山本太郎はただ正義感のマントを被ったようなやつ、今までそう思ってた。でも今回、たまたま彼がしていた演説、個々の社会問題に実際に直面していた人を計9名擁立したこと、そんな9名の演説。ものすごく説得力があり、何の陰りもない政治姿勢であることを実感した。

 

国際政治学者の三浦瑠璃さんが、いい政治家の条件として、個別具体的な社会の問題に実際に直面し、その解決策として政治の道を進めること、って言ってたなあ。

 

本当はれいわ新撰組の良さを友達にシェアしたかった。れいわに入れてよって。でも、俺は来月から英語の先生として学校で働く。匿名でないフェイスブック等を通じ、それがお役所にバレたら、生徒たち、学校関係者にバレたらってことを気にして何にも書けなかった。

 

今までも前所属の大学教授のフェイスブックアカウントで共感を感じる投稿がいくつかあった。だけど、それにもいいねできなかった。今後の将来を考えてしまって。自分は先生になるんだ。だから、政治的には中立でなきゃって。

 

政治的中立性って?

 

ここで考える。政治的中立性について。日本では政治的に中立であるためには、積極的に意見を言わない必要があると考えられている。例えば、学校の政治の授業で教師がれいわの良さについて話だけをしたらおそらくアウト。だから、教師はみんな自分の意見を言わない。それで、生徒は自分の主義主張を言わない。幼稚園時代から植え付けられてきた同調圧力でますます意見を言わなくなる。これが連鎖する。これが戦後日本の現在のおじさんおばさんたちが、自民党以外無くねって雰囲気を形成し、加えて日本の同調圧力がプラスされ、現在若い人は人口分布の多い高齢者目線の自民党に入れる人が多いそう。周りでよく耳にするのは、無難に自民党かな、野党どれもクソだからとか。同調圧力ってこんな怖いものなんかと。みんな自民党以外無いって思考停止してる。自民党にプレッシャーをかけるような投票をしなかったら、自民党の成長を止めることにもなる。ましてや、野党が育っていく機会も作れない。政治が変われば、ベーシックインカムとか、政治が変わればワクワクするような社会制度が生まれるかもしれない。税金の使い方によっては、人がめっちゃ手厚く経済的支援を受けるっていう例をフィンランドの生活で、汚ったないインフラばっかになるという例をアメリカの生活で見てきた。同調圧力、公平性、忖度という概念を通じ、いつの間にか生まれた空気という権力に自分の住む国を動かすという自由が奪われてきてしまっている。

 

中立って誰が決めるんだろうか?中間ってこと?じゃあ政治、国の流れの真ん中って何なのか?真ん中を決めるためには両端を決めなきゃいけない。じゃあ誰が両端を決めるの?これもまた中立という権力が決めるのか?この連鎖が日本の空気を重くしてるように感じる。誰がこんな意見を言ってるのかなあ?あんな意見かなあ?実ははっきりしない空気を読みながら中立という空気をまた決めていき、それに基づいて行動してしまう。線分A Bの中点を求めなさい。中点を決める端がどこにあるのか、数学の問題でははっきり示されている。だから、みんな迷わず中点を求められた。中立性を決めるには、各人の主張がはっきり表明されなきゃいけないと思う。その過程で国民間の意見が見えてくると思う。

 

まとめ

 

日本では中立という端っこの決まっていない中点と言う名の空気が、一人一人の意見を見えない化させている。そしてそれが意見を表明させない圧力になり、既存の政治体制から進歩が見られない状況を導いている。モーリーロバートソンが、批判的思考とは反逆だと言っていた。反逆はここでは非人道的行為を意味しているのではない。既存の知識や権威は当たり前に思われているけど、本当にそれが正しいのか検証しようとすること、その過程は必ず批判的思考=反逆に結びついていく。みんながまず意見を批判的思考に基づいて言っていく。そして、各端が分かり中間点が見える。初めてそこで合意形成がなされる。学校で意見を言えない素地を作られてしまったこと、SNSで見えない権威に怯えることこれは、ますます中立という名の空気、権威を強くしてしまっている。だから、こうして匿名で普段から思ってる批判的思考をブログに残していき、少しでも多くの端を作り出し、空気ではない中立を作っていければと考える。